行為の途中、エリックは悲しくなった。
カインはエリックに組み敷かれても綺麗だった。きっとヴィラ中のどの主人より美しいだろう。
だから哀しかった。
こんなに美しい人が、愛しい人が過去酷い目にあったことが。手馴れた様子なのがなお悲しみを煽り、エリックはとうとう泣き出してしまった。
「っは・・・。エリック?・・・・どうした」
「ご主人様・・・・ご主人様・・・・・・っ」
うっとりとした余裕の顔でエリックが動くのを見つめていたカインは、急に泣き出したエリックに訝しげな顔をした。
そうして気遣ってくれることすら愛しくて、エリックは動くのをやめカインにぎゅっと抱きついた。
「ご主人様っ・・・!あなたを、守りたい・・・!!あなたが、もう、酷い目に会わないように・・・・!!!」
それは紛れもない願いだった。
心も体も、この人を傷つけ悩ませる物全てから守りたいと、エリックは強く思った。
カインはそんなエリックの叫びを聞くと、一瞬目を見開きゆるゆるとその瞳を涙が潤す。
脳裏には様々な事が巡っていた。今まであった怖い事、屈辱的なこと、寂しかった事、誰か助けて、愛してと天に向けて手を伸ばした時見えた空。
カインは何一つ忘れていなかったが、今のエリックの言葉で全てが癒されたような気がした。
そしてなおも自分の顔の横でおいおいと激しく泣く、己よりも大きく逞しい体躯をした男をみやり、「しょうがない人」と愛しくてたまらない顔で笑った。
事が済んだ後、二人の間にはとても甘く、穏やかな空気が漂っていた。
まるで恋人同士のような空気が。
けれど二人には恋人同士になる気はない。エリックはカインの飼い犬であるからこそ、いつまでも一緒にいられるし気兼ねなく愛してもらえると思ったからだ。自分はいつでもカインのために腕を広げ、カインのために駆け寄り、カインのために声を出す。それだけ従順でカインはやっと「信頼」できるのだ。それくらい臆病だから。
カインも、エリックが恋人ではなく飼い犬であるからこそ安心して愛することができた。飼い犬であるうちは決して自分を裏切らないと思っているから。自分だけを求める声を聞き、自分だけを求める腕を取り、自分だけを目指す足音を聞くことでやっと愛してもいいのだ。と実感できたから。
二人とも、恋人同士や夫婦の永遠など信じていなかった。いずれ愛は薄れ、移り気になり、些細な事で喧嘩をし、それが醜い争いとなり泥沼の生活になると、確信している。
そしてそう考えている者が結婚したって、結局その通りにしかなりはしないと植え付けられているのだ。
カインはエリックが自分を抱きしめた状態でいる事を許可した。
なんとなく、そんな気分だったからだ。
「ご主人様・・・・」
「・・・ん?」
おそるおそる話し掛けてきた、エリックのチョコレート色の髪を優しく撫でてやる。他に表現できるだろうダークブラウンはいくらでもあったが、何故だか今はチョコレートしか浮かんでこなかった。
「俺・・・・ご主人様のこと、愛してます。どんな人でも、どんなことがあっても、変わりません。ここからでていくときは、ご主人様のお供をするときだけです」
「うん・・・・」
「俺・・・頭、よくないから・・・・うまくいえないですけど・・・・」
「うん?」
エリックは覚悟を決めた。
馬鹿は馬鹿らしく、単純で簡単な方法をとろうと思ったのだ。
「んーっ?!」
カインが珍しく驚いた声をだした。無理もないだろう。何かを言うのかと思っていたエリックが、いきなり息も奪うほどのキスをしたのだから。
目を見開くカインの瞳が、うっとりとしながらも不安そうなエリックの瞳とあった。
確かに、ヴィラとしては飼い犬がこんなことをするのは無礼なのかもしれない。けれどそれはあくまでも「ヴィラとしては」だ。「カインとしては」何の問題もない。
だからカインは、口で許しを宣言するより先に、エリックの後頭部に手をまわしもっと唇が深く触れ合うようにした。
それまでカインは孤独な王も同然だったのだ。
誰も心を許せるもののない荒れ果てた王国で、誰にも行使する事のない無駄な権力と影響力を持ち、ひたすら頑丈な門に虚ろな視線を投げかけ続ける。何気ないフリをして無表情で歯を食いしばり、涙する代わりにその余地もないくらい笑ってみせ、己を必死で保ちながら。
いつかそこを抜けて、自らの王国に入ってくるものを望みながら。
けれど今ではエリックがいる。彼の仔犬たちがいる。
彼の仔犬たちは誰もがとてもカインにたいして従順で、カインを愛している。
これまで住んでいた世界を追われ、カインの王国に入ってきた彼らにとっては、こここそが最後の楽園。愛すべき王国なのだ。
彼らが唯一絶対とするカインがいて、自分達に愛を注ぎ、安らぎを与えてくれる。
カインは彼らにじゃれつかれ、無邪気にそして一途に注がれる愛を信じ、やっと孤独が癒される。
もはやカインの王国は前のように荒れ果てたものではなかった。
満たされた、愛情溢れる名君が治め、その国王を一心に愛す国民がいる。
他人から閉鎖的と言われようが、狂っていると言われようが、彼らからすればそこだけが確かな王国なのだ。
「ご主人様っ!やっと来てくださったんですね!会いたかったです・・・・・・・・・・・って、誰ですか?その犬」
「久しぶり、ロビン。この子はエリックだ。知ってるだろ?この前コロシアムで10勝したやつさ」
カインはコロシアム云々のところからは、どうでもよさそうにいった。事実どうでもいいのだろう。エリックが誇るならばまだしも、コロシアムで誰がどうしたなんてことは、カインからすれば興味の対象外だ。
「へえ・・・・・この犬が・・・・・」
ロビンと呼ばれた綺麗な金髪の犬が、不満げに目を細めた。
その正面にいたエリックにはよくわかった。と同時に察する。
こいつが剣闘士になりたいとご主人様に駄々をこねたやつだ、と。
「エリックだ。俺の事は知ってるだろ?」
「・・・・・・・・・・ああ」
どことなく得意げなエリックと不満げなロビン。険悪な雰囲気の二匹を、カインはアクトーレスを下がらせながら実に機嫌よく見守っていた。
カインはもう孤独ではないので、ひどく満たされた笑顔で。
―― 了 ――
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